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2018年2月14日 (水)

さー

先日、家で話していて指摘されました。

わが家の息子、とくに上の子は話すとき、「あのさー、オレさー」とやたらと「さー」をつけて話すのが彼の口調。と、思っていたら、夫によればそれは私の話し方なのだとか。

息子にきいたところ、「そういえば、友だちで"さー"をつけて話すのは、〇〇くん(お母さんが東京都練馬区出身)くらいで、ほかはあんまりいない」だそうです。

そうだったのか!私は自分ではいわゆる「標準語」つまり、無国籍というか、地方色のない無色透明の日本語を使っていると思っていました。それがどうやら、東京方面の方言を使っていたらしい。それに自分ではそんなに「さー」を連発しているという意識はなかったけれど、言われてみればけっこう使っているようでした。なかなか新鮮な発見でした。

ちなみに、現在私たちの住んでいる地域でも、「さー」はあります。それは、「当然である」「もちろんそうである」「そうに決まっている」というニュアンスを含む「さー」。

例:
「子どものとき、××したことある?
「あるさぁ」

「この間、温泉に行こうねって約束したけど、ほんとに行くよね?」
「行くさぁ」

この場合、「ある」「行く」は低め、「さぁ」は強めで高い音程となります。

このあたりのことばでは、そうだよね、というと、最初夫は「そんなの、言わないよ」と取り合ってくれませんでしたが、その翌日さっそく子どもに向かって使っていたので即座に「ほらそれ!」と指摘したら「ほんとだ―」と初めて気づいたようでした。

使い慣れたことばって、無意識に使っているものですね。

2015年12月 2日 (水)

産地ならではの習性?

自称フルーツ王国のここ須坂。その自称もだてではなく、日々、果物に親しんでおります。

ぶどう、りんご、桃、梨、柿、あんず、さくらんぼ、などなど、季節ごとにいろいろなくだものが生産され、食べられます。

自分の家が生産農家だったり、あるいは実家や親類縁者、ご近所が生産していたり、ということで、もらいもらわれも盛んです。

友人知人がちょっと集まるときにも、自宅で準備してきた果物を持参して、みんなでつまんだりという光景も珍しくはありません。

そんな中で気がつきました。もらいもらわれの時や、ちょっとつまんで、という時、ほぼ必ず品種が確認されるのです。
「これ、巨峰だよね?」
「シャイン?おー」(←市場的には価値の高いシャインマスカットの略称)
「今の時期だと・・・これ、秋映だね」(←早めに出荷時期を迎えるりんごの品種)
というように。そしてみなさん、それぞれの品種の出荷時期もわかってらっしゃる。

子どもたちも例外ではありません。
「今日、給食でナガノパープルが出た」(←種なしで皮ごと食べられるぶどうの品種)
「ほいくえんでシナノゴールド食べた」(←皮が黄色いりんごの品種)
というように、品種名がふつうに会話に出てきます。学校では給食の時の校内放送で「今日のこんだて」の説明が流れ、そこで品種の紹介があるそうです。

振り返ってみると、こちらで生活するようになるまでは、店頭では「ふじ」とか「紅玉」とか書いてあっても、それほど品種を気にしていなかったように思います。「りんご」とか「ぶどう」とかおおまかな感じで。ぶどうといえばデラウエアだったし。

これだけ品種名が日常的に会話に登場するのも、産地ならではのことかもしれませんね。

2014年7月25日 (金)

せーの、で

掛け声にも、地域によって違いがあるようです。

私の生まれ育った環境では、おおぜいで力とタイミングを合わせて何かするときの掛け声と言えば「いっせーの、せ」または「せーの、」でした。力を入れるタイミングは、前者では「せ」で、後者では「せーの」の後、一拍置いたところにありました。

こちらでは「せーの、で」なのですね。力を入れるタイミングは、「で」のあとに来ます。当然のことながら子どもたちはこちらのリズムを身に着けているようです。

2014年5月27日 (火)

「無言清掃」と「からべん」

 本屋さんに行くとつい寄ってしまうのが「郷土出版コーナー」。いくつもある長野県内の出版社から出された本や、長野県に関する本(温泉、山、自然、文化、歴史…)が並んでいます。最近、新書版サイズでよく見かけるのが、「県民性」とか「長野県あるある」的な豆知識をまとめた本。たぶん各県版があるのでしょうが、店頭に並んでいるのは長野県ネタばかりです。そんなところにも信州人の郷土に対する関心の高さがうかがえます。この手の本、よそから移り住んだ者にとってはなかなか興味深いものがあります。

 さて、そんな本の1つを手に取って立ち読みしてみました。そこで新たに知ったこと。
 「無言清掃」と「からべん」って、やっぱり長野県独特の学校文化らしいですね。
 いま小学2年生の息子が入学した当時、最初に私がとまどったのが、お箸と「からべん」持参という習慣でした。「からべん」とは「空弁」つまり「空の弁当箱」のことです(ちなみに、「弁当箱」では「ば」にアクセントが置かれます)。入学準備のための学校からのお便りにも、持ち物として当然のように「からべん」とありました。
 給食があるのになぜお弁当箱を持参するのか?周りのお母さんたちはとくに不思議がることもなく、あたりまえのようにしています。入学前の説明会の時、思わず先生を呼び止めて聞いてしまいましたよ。その時の説明では「給食時、おかずは食器があるが、ご飯は持参したお弁当箱に入れる」ということでした。そうか、そのように少ない予算の中で、食器代を節約しているのだなと解釈して今まで来ましたが、立ち読みした「あるある」本によれば、必ずしもそればかりではないようです。つまり、給食で食べきれなかったご飯やおかずを、そのお弁当箱に入れて持ち帰るためなのだそうです。ううむ、知らなかった。
 それから「無言清掃」。学校からのお便りでしばしば見かけるのがこの言葉。お掃除のときに、おしゃべりをせず、黙々と清掃するように指導するということらしいです。掃除をしっかり、とは自分の学校生活で指導されたことはあっても、わざわざ「無言で」と言われたことのない私は、なんとなく不思議に思っていました。けれども学校での懇談会でもそれがごく当たり前の前提として言及されているので、とりたててそれがなんなのか、どういうことなのか、といううっすらとした疑問を言い出せずにいました。「あるある」本の立ち読みで「そうだったのか」と納得。長野県の学校では、いつからか伝統的に「無言清掃」という指導がされているのだけれども、地元では当たり前になりすぎていて、逆にみなさん、その指導が独特なのだということに気づいておらず、他県の人との接触の中で初めて気づくのだとか。私がなんとなく違和感を覚えたのも無理はないようです。

2014年5月26日 (月)

たらの子

 写真は、スーパーで買い物をしたときのレシート。こういうものには生活感と同時に土地柄があらわれますねえ。

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 真ん中あたりに記載されている「ビタミンちくわ」は、このブログでもだいぶ前に紹介した気がします。この地域ではごく一般的に食べられているちくわ。紀文などの5本入りくらいのものよりもふたまわりくらい大きいサイズで2~3本入り。紀文等のちくわはひっそりと売られています。
 そして下から2行目の「たらの子」。要するに「たらこ」のことです。私の語彙では「たらこ」がスタンダードで、夫がこのように言うのを聞いて「たらのこ」という呼び方を初めて知り、気になっていましたが、こちらではこのように言うんですね。スーパーの広告、店頭のPOP、そしてレシートにもこのように書かれています。

2014年3月17日 (月)

やしょうま

毎年この時期に書こう書こうと思いながら書いていなかったネタです。

タイトルの「やしょうま」とは、これ。

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自分でつくる家庭もあるでしょうが、店頭には2月ごろに登場し、3月半ばの今頃まで目につくところに並んでいます。

上新粉を練って蒸した、棒状というか枕状のお餅です。ごまが入っていたり、よもぎが入っていたり、海苔が入っていたり、いろいろです。

本体に味はとくについていないか、薄い塩味で、甘いものはほとんどないようです。これを薄切りにして軽く焼き、砂糖醤油などをからませて食べます。お店によっては、薄切りにしたときに断面に華やかな絵が出るようにカラフルに仕上げているところも見受けられます。

これは、涅槃会(お釈迦様の亡くなった日)に際し、2月15日か3月15日にお供えし、食べるものとされています。1か月の時差は、暦の考え方によるようです。保育園のおやつにも出されます。北信地方を中心に、長野県ではいろいろバリエーションがありながら、広くおこなわれているという話です。

「やしょうま」の語源については、

お釈迦様が亡くなる直前に、「ヤショ」という弟子が米の粉で作った団子を差し上げたところ、「ヤショ、うまかったぞよ」とおっしゃって亡くなったとの言い伝えから「やしょうま」となりました。(全国学校栄養士協議会のHP「行事食>長野県」より)

という説明が、学校や保育園の給食だよりをはじめ、店頭などでも繰り返されています。いまネットで検索してみたところ、「やしょ」は「妻のヤショダラ姫」のこと、という説もあるようです。私自身は、体操のあん馬とか、もろもろの工芸品を作るときの「うま」と呼ばれる台などのことを考えると、おそらく「やしょうま」の「うま」もその形から来ていて、各地にある(材料や製法はそれぞれ違うけれど)「やせうま」につながるものなのだろう、と思います。

まあ、こういう苦しそうな説明のしかたも含めたものが行事食の面白さなのであって、深く追究するのは野暮というものかもしれません。

2013年12月17日 (火)

閉店のお知らせ

なんだかvowのようになってきた気もしますが、こんな広告。

少し前、「信濃毎日新聞」の社会面の下の広告欄に掲載されていました。

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こういう広告も新聞に載るんですねえ。よほどお客さんに親しまれたお店なのでしょうか。引き継ぎ希望の人は見つかったのかな。

公民館でクリスマス会

12月。ということで、このブログでこれまでにも何度か話題にしてきた「子ども劇場」のクリスマス会に行ってきました。

今回の趣向は、みんなで人参などを型でくりぬき、飾りつけをする「ポテトツリー」作成と、逸品持ち寄りの食事会、そして自宅にある不要なおもちゃなどを持ち寄ってのプレゼント交換。

こんなのができました。

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しかし実は、今日書きたいのはそのことではございません。

今回は、市内にいくつかある公民館のうち、普段利用しているのとは別の公民館が会場となりました。

今回会場となった「集会室」の壁にはこんな注意書きが。

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気をつけましょう。

2013年10月 2日 (水)

水くれ

わりと有名な話ですが、このあたりの地域では、目上の人から目下の人に向かって何かをしてあげるときの「~してやる」を「~してくれる」と言います。ものの受け渡しの場合も同じです。動作やモノの受け手が言うのではなく、与える側が使うというのがポイント。東京のことばでも「くれてやる」という言い方はしますよね。

わが家でもたとえば
孫「このひも、結んで~」
祖母「どれどれ、おばあちゃんがむすんでくれるよ」

あるいは
孫「このおかし、もうないの?もっとたべたい!」
祖父「よしよし、おじいちゃんの分をくれるぞ」

というような要領で使われています。

息子2号3歳あたりは「ねえこれ、やってくれて~」という言い方をしたりしますが、これが正しい用法かどうかは私にはよくわかりません。

さて、そういうわけで、植木や花に水をやることも「水をくれる」と言い、「水やり」は「水くれ」となります。いつだったか、このブログの初めのほうでご紹介した夕方のチャイムの曲を唄っているグループもそれを採用して「水くれトーバンズ」という名前を名乗っていたりします。

最近配られたPTAの連絡のプリントでもちゃんと使われていました。

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地域のことばが生きてますねえ。

2013年6月20日 (木)

鼻濁音

このブログでカテゴリーを作っておきながら、ほとんど書いていなかったこちらの「ことば」。

一般的に、自分の生まれながらのことばでなくても、語彙やイントネーションは、いつの間にかつられて自分に取り込まれることもあるのですが、まねしようと思ってもなかなかまねできないのが、発音です。

それをつくづくここで感じるのが、鼻濁音。

東京郊外で生まれ育った私は、小学校低学年の国語の授業で「語頭以外のがぎぐげごは鼻にかける(かかる)」と教わりました。東京のことば、というかそれをもとにした標準語(あえてここでは共通語とはいいません)では鼻濁音をそのように使うのが「正しい」らしい。NHKのアナウンサーもたぶんそのように教育されていると思います。しかし、そういわれてもなかなかできませんわね。鼻濁音をマスターしたほうがやわらかく聞こえるとか、ガギグゲゴを露骨に使うと汚いとか言われることもありますが、私自身には特に気にもならないし、鼻濁音のあるなしで意味が取り違えられることもまずないので、あまり気にせずに濁音生活(そんなことばはない)を送っています。鼻濁音とは無縁の地域で生まれ育った人によっては、鼻濁音を「キモチワルイ」と感じるむきもあるようです。

そんな鼻濁音ですが、このあたりではごく自然に発音する人が多いようです。保育園の親の懇談会で話していたりすると、私よりもかなり若いお母さん方が、見事に法則通りの鼻濁音を発しています。話の内容とはまったく関係なく、その発音に思わず感心してしまいました。

さて、わが息子たちはというと、東京でことばの基本を身に着けてからこちらに来た上の息子は、なんとなくもともとのことばにアイデンティティーを感じているらしく、多少の差異をきにすることもあります。が、お友達との付き合いの中、本人の自覚をよそに、だんだんとこちらの語彙やイントネーションを身に着けつつあります。ただ、鼻濁音はどうかなあ。まだ観察しきれません。

一方、下の息子はことばの基本が身に着く前にこちらに来たこともあり、1日の大半をすごす保育園の影響が大。赤ちゃんクラスからずっと面倒を見てくださっている先生たちから大いにことばを覚えている模様。こまごました言い回しにそれを感じます。さて、発音はどうでしょうか。いまのところはまだ舌足らずなのでよくわかりません。

東京郊外で生まれ育った(けれども両親はまた別の土地の人)母親である私、この土地で生まれ育った祖父母、この土地で生まれ育ったけれども世代が異なり一定期間東京で生活した父親に囲まれ、そして地元の保育園や小学校という環境で育つ子どもたち。どんなことばをこれから身に着けていくのでしょうね。